邱永漢先生が昭和46年に刊行されれた著作に
『もうけ話』という本があります。
「この本を書くにあたって、最初に考えたことは、
金もうけのタネはどこにでもころがっているということである。
世の中が落ち着いて来ると、
新しく無名の新人がわりこむ余地はなくなると誰しもが考える。
また資本のない者が新しく仕事を始めても、
とても大資本にはかなわないというコンプレックスがある。
こうした考え方がいかに間違っているか、
を証明するには戦後の、私たちと同時代に生きている人たちが
どんな方法で自分たちの企業を築きあげていったかを
跡づけるのが一番よいだろう。」
といって、邱先生はホンダの本田宗一郎さん、
ブリジストンタイヤの石橋正二郎さん、
マザックの山崎照幸さん、森ビルの森案吉郎さん
などの方々の奮闘記を記述されています。
この本を読んで私の頭に残ったのは
成功した事業家たちは、最初からこれという仕事が
決まっていたわけでなく、試行錯誤を重ねる中で
中核になるビジネスを見出していったということです。
私は以前、ホアファット鉄鋼G(HPG)の社長から
これと同じ趣旨のことを伺い、印象に残っていたので、
「これからのベトナムには鉄が必要」と感じられた
時の様子を聞かせて欲しいとお願いしました。
この質問に対し、社長は次のようにおっしゃいました。
「自分たちは台湾やマレーシアなどの先進国から
良い製品を輸入して、国内で売るという貿易商社として
事業を始めました。そして、あるとき、スチール製の梯子
を扱っている国営企業に、その製品を
売ってくれるように頼んだところ、その会社から、
エラく威張られ、悔しい思いをしました。
それなら、いっそのこと、自分たちで、
鉄鋼製品を作ったらどうか」と考えたのです。」
こういう趣旨のエピソードを他にもいくつか話され、
これは生きた経営の教材になると思い、私は
「自分に漫画を書く才能があればそれらの体験を
描いた漫画を描きます。売れるでしょうね」
と話しました。
社長は笑っておられました。