前回、書いたように私は
香港がイギリスから中国に返還される直前の
1997年(平成9年)に、香港、九龍地区の
一坪ショップの利用権を売却しました。

縁もゆかりもない香港で
一坪ショップの利用権を買ったりしたのは
邱先生が、香港返還に向かって、
香港がゴーストタウン化するのではない、
逆にどんどん繁栄するのだというい仮説が
当たるのかどうかを、自分なりに確かめるためでした。

結果として、邱仮説は
ものの見事に的中したわけですが,
そのことが判明する6年ほど前の平成3年頃から、
邱先生は今後の投資の本命は
「香港の背後にある中国である」との
見通しを述べられるようになりました。

先生はこの平成3年から北京、上海、天津の
各地で新規事業をの展開に着手されました。
どの事業も、私たち外野席にいる者の気持ちを
ワクワクさせるような魅力に富むものでした。

先生は興味と関心をもつ人たちに
各地での事業に一枚乘ることを勧められましたが、
私は、北京で展開されるという外国人居住用の
高層マンションの一室を買うことにしました。

当時、北京には北京で勤務する
外国人居住用のマンションが不足していました。
この不足を埋めるために、邱先生はこの事業を
着想され、私などこの事業の将来性に賭けるものが
一枚のったわけです。

香港で手に入れたのはわずか一坪のスペースでしたが、
北京では100㎡、33坪の生活空間になりました。