ヤオハンが倒産し、
ヤオハンをテナントとして台湾で進めていた
大規模商業施設が頓挫し、邱永漢先生は立ち往生されました。

その時、奥様は先生に
『もとに戻ったと考えればいい。
私の財産をもとにしたら、なんとか生活は続けられる』
と激励されたのだそうです。

この時の話を邱先生は『鮮度のある人生』という本で
詳しく書かれていますが、奥様から直にうかがうと、
当時の大変さまた奥様のお優しい激励が
ピンチ最中の邱先生の心を癒されたであろうことが
伝わっています。

奥様は「私はお金はなくても幸せな人生を送ることができます。
心の平穏が一番大切だと考えているんです」
と語られました。

この人生観と比べると、邱永漢先生は
いつも難しい目標、課題を設定し、その達成に向けて
猛然と突き進んでいくタイプであったと思われます。

ご夫婦の人生観が違っていたために、
先生も大いに救われた面があるのではと
思いました。

私は、邱先生のエネルギッシュな生き方に
元気づけられた邱ファンの一人ですが、
奥様の人生観にも深く打たれました。

 

 

邱永漢先生が参院選全国区に出馬し
落選によって大きなショックと逆風を受けたのですが、
そのとき、渾身の力を込め、再起を願う
邱先生を奥様が激励された話を伺い、
心うたれました。

続いて、奥様はヤオハンの倒産から
再起不能に近い状態に置かれたときの
不幸な出来事についても話されました。

ヤオハンは当時、台湾での事業展開を考え、
社長の和田一夫さんと親しい間柄にあった邱先生は
ヤオハンが台湾でテナントとして活動できる大きな商業施設を
建設していたのですが、ヤオハンの突如の倒産で、
先生が進めていたプロジェクトは頓挫してしまったのです。

普段は元気のいい、邱先生も
再起不能の事態に置かれたのですが、
奥様は先生を励まされたのだそうです。



前回、紹介したような事情から
邱永漢先生は、昭和55年の参院選に出馬したのですが、
結果は落選となりました。

邱先生は後日談として、
政治の世界に足を踏み込んだ人たちをジャーナリズムは敬遠し、

邱先生もその例外でなく、描いた作品の掲載を断られたそうです。


邱亜蘭夫人はこのころのことにふれ、

「『とにかく、書いて、書いて、(中央公論社社長の)

嶋中さんのところに持ち込んでください』と激励したんです」
と話されました。


そしてこの頃、「中央公論」誌に掲載されたのが次の
3作品です。 

一つは「香港の挑戦」。
二つは「海外投資」。
三つは「経済一等国日本」。

私は当時、この連作を読み、

ご自身の体験をもとにしたこれらの作品を

興味ふかく読ませていただいたのですが

こうした邱先生のご活躍を奥様が

力づよく励まされていることを知り、

温かいものを感じさせていただきました。



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