北京の街角やレストランで、
多くのホワイカラーの人たを見かけました。

皆さん、服装もきれいで、
豊かそうに見えました。

妻もそう感じたようで、
「北京のホワイトカラーの人たち
給料はいくらでしょう」
と聞きました。

私もこのことに興味を持っていたので、
ネットで調べると、「中国のホワイトカラー、賃金上昇、
北京・上海は月給15万円に迫る」とありました。

そのことを妻に伝えると
妻は昔のことを思い出し、次のように振り返りました。
「私たちが結婚した時(昭和43年=1968年)の
お父さんの給料は10万円より少なかった。
オイルショック(昭和48年=1973年)で
給料が上がりましたね。」

給料の額では北京や上海の人たちの金額は
日本人よりまだ少ないですが、
現地の物価は、日本より幾分低いので 
北京や上海の人たちは生活の質という点で
日本人と同じレベルになっているのではと感じたことでした。 


 

かつて、邱先生が先生のもとで
仕事をするようになった若い人たちと
しばし懇親された
ルー ソン ユエン ホテル(侶松園賓館)
で食事をしたあと、荒木さんと別れ、
私たちは北海公園まで歩きました。

そのあと友人が「天壇 」にまだ行っていないと
ことなので、案内。
改めて天壇公園の広さに驚きましたが、
そのあと、地下鉄を利用して、
三里屯(さんりとん)に向かいました。

私が「三里屯」の名前を知ったのはずいぶん前のことで、
日本から北京に移った青年たちから教えてもらったのです。
 
とても洒落たところとのことで、
いまはユニクロも進出しています。
あるガイドによれば、
「三里屯はもともと北京の城壁から
三里はなれた農舎があったことから
この名前がつけられました。

その後、周恩来の指令により
この地に大使館が並ぶようになり、
徐々に現在のようにバーストリートが
出来上がっていったのでした。
ここは流行の最先端を行く場所であり、
夜ともなる多くの外国人と
ファッショナブルな若者たちでいっぱいになります。」

私たちはユニクロ店近くのレストランで
アジアの料理をいただきました。

パン工場を視察させていただき、
社長の荒木さんの部屋で
しばし懇談させていただきました。

邱先生のもとで仕事をし
いま中国の各分野で活躍されている
方々の写真を見せていただいたりしました。

懇談ののち、荒木さんから
邱先生が先生のもとに集まった若い人たちと
よく訪れたところに案内したいとの
お申し出を受けました。

「いまは静かだが、
いずれ人が集まるようになるよ」
と先生が予言し、時を経て
実際にその通りになったところとのことです。

案内していただき、
先生が上海で出店された
田子坊 (泰康路)(タイカンルー)のような
ところだとの印象を受けました。

そして、案内いただいた通りから
少し奥まったところにある
ホテル兼レストランに案内いただき、
皆さんが一緒に食事された料理をいただきました。
 
北京 ルー ソン ユエン ホテル(侶松園賓館) 
Lusongyuan Hotel)よいうところです。
次に北京に来る機会が できたら、
邱先生のゆかりのレストランとして
伺いたいと思ったことでした。 

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