このところ、時間をかけ

今年4月に行った
ベトナム・ホーチミンでの視察と
中国の三つの都市(成都、西安、北京)への旅行を
ふり返りました。

ベトナムでの滞在が4日間、
中国での旅行が9日間、
あわせて旅程は13日に及び
私にしては、長旅でしたが、
実に楽しい日々を送らせていただきました。

このうち、最も印象的だったことは
やっぱり、ホーチミンが大変貌を遂げつつあることです。

私はこれまでベトナムには12回通い、
このうち、ホーチミンに7回ほど行っているのですが、
これが自分の知っているかホーチミンなのか
と思うほどに大きく変わっていることです。

私はいま、7月末から8月はじめに
名古屋、大阪、東京でアジア株セミナーを開きますが 
参加してくださる友人各位に
ホーチミンで見聞したことを
どのようにして伝えるか、思案しているところです。 


北京の街角やレストランで、
多くのホワイカラーの人たを見かけました。

皆さん、服装もきれいで、
豊かそうに見えました。

妻もそう感じたようで、
「北京のホワイトカラーの人たち
給料はいくらでしょう」
と聞きました。

私もこのことに興味を持っていたので、
ネットで調べると、「中国のホワイトカラー、賃金上昇、
北京・上海は月給15万円に迫る」とありました。

そのことを妻に伝えると
妻は昔のことを思い出し、次のように振り返りました。
「私たちが結婚した時(昭和43年=1968年)の
お父さんの給料は10万円より少なかった。
オイルショック(昭和48年=1973年)で
給料が上がりましたね。」

給料の額では北京や上海の人たちの金額は
日本人よりまだ少ないですが、
現地の物価は、日本より幾分低いので 
北京や上海の人たちは生活の質という点で
日本人と同じレベルになっているのではと感じたことでした。 


 

かつて、邱先生が先生のもとで
仕事をするようになった若い人たちと
しばし懇親された
ルー ソン ユエン ホテル(侶松園賓館)
で食事をしたあと、荒木さんと別れ、
私たちは北海公園まで歩きました。

そのあと友人が「天壇 」にまだ行っていないと
ことなので、案内。
改めて天壇公園の広さに驚きましたが、
そのあと、地下鉄を利用して、
三里屯(さんりとん)に向かいました。

私が「三里屯」の名前を知ったのはずいぶん前のことで、
日本から北京に移った青年たちから教えてもらったのです。
 
とても洒落たところとのことで、
いまはユニクロも進出しています。
あるガイドによれば、
「三里屯はもともと北京の城壁から
三里はなれた農舎があったことから
この名前がつけられました。

その後、周恩来の指令により
この地に大使館が並ぶようになり、
徐々に現在のようにバーストリートが
出来上がっていったのでした。
ここは流行の最先端を行く場所であり、
夜ともなる多くの外国人と
ファッショナブルな若者たちでいっぱいになります。」

私たちはユニクロ店近くのレストランで
アジアの料理をいただきました。

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