40歳近くなってきたころのことです。
邱永漢さんが書いた『サラリーマン出門』
(文庫本は『邱永漢サラリーマン出門』)
を読んだことがキッカケで、
これから自分はどういうことを
やろうとしているのか問いかけることになり、
自分の本音が浮かびあがってきました。

これから先、どういう仕事に
従事することになるのか
予測がつかないけれど、
「どんな環境に置かれても、
状況を打開でき人間になりたい」、
「できることなら、年をとっても
仕事を続けたい」
そんな思いが、心の底から
わいてきました。

そして、そうした思いを実現するには、
世の中で吹いている風にじかにふれ
新しい事業を企画したり、
軌道に乗せていくといった
体験をつむことが必要だと
考えるようになりました。

そういう考えが浮かんでくれば
あとは行動するだけです。
事業感覚が養えるような部署で
仕事をしたいと、周囲にはたらきかけ
その結果、損益が問われる
ある事業部で働くことになりました。

自分の将来に思いを寄せることが
その後の自分のあり方を探求し、
新しい方向に向かって走り出すことに
つながっていきました。

私が30代半ばであったころ(昭和54年ごろ)、
企業としての人事施策の指針をまとめる中で、
「これからは、会社で働く人たちに対し、
自助努力を発揮して、生活設計していくよう
働きかける必要がある」と書き、
このことがきっかけになって、
自分自身の今後のあり方について
考えるようになりました。

そのころ、私は鉄鋼メーカーの社員で、
入社してから、製鉄所や本社で
総務とか労務の仕事を担当していました。
総務や労務の仕事は会社の中では
重要な仕事とされていましたが、
私自身にとっては慣れ親しんでいる分、
新鮮味を感じなくなっていました。

ですが、これから先、
どうしていったらいいのか、
というと、その先が見えてきません。
たいへんじれったく、悩ましい思いの
日々が続きました。
そのころ、私は邱永漢さんの本に
親しむようになり、ずっと前に書かれていた
『サラリーマン出門』
(文庫本は『邱永漢サラリーマン出門』)
という本を読みました。

この本はサラリーマンを卒業して
独立、自営の生活をはじめよう
と考える人に向けて書かれた本です。
私は会社一筋で生きていこうと考えていて、
この本にはなじめないものを感じました。
ですが、この本には一つの明確な生き方が
紹介されているわけで、“独立、自営の生活”
の生き方がなじめないというなら、
「自分は一体どういうことを
したいと考えているのか」と、
自分に問いかけるようなりました。

そういう問いかけを自分に向かって
発するようになるまで
ずいぶん時間がかかってしまいましたが、
『サラリーマン出門』を読んだおかげで
自問自答が行われるようになり、
だんだん自分の本音が現れてきました。
自分と向きあうには根気が要る、
というのが当時をふりかえっての
私の感慨です。

私が自分の将来について
考えるようになったのは
35,6歳のころ、いま62歳ですから
四半世紀前のことになります。

第二次オイルショックに襲われ
“減量経営”言う言葉が
盛んに使われたころのことです。
それまでの高度成長にかげりが見え、
それまでの生産の7割か8割でも
黒字が出るように経営の
体質を変えようというのが、
“減量経営”の意味でした。

そのころ、私は鉄鋼メーカー本社で
労務関係の仕事をしており、
たまたま、私の上司が日経連に
(現在の日本経団連)に設けられた
人事、処遇施策について考える
委員会の委員長になり、
私はその委員会の提言書を
まとめることになりました。

当時、会社の定年は55歳、
他方公的年金の支給時期は60歳で
国はその間の溝を埋めるため、
民間企業に定年を60歳にすることを
要請していました。

そうしたことを背景に
民間企業の人事、給与、教育関係の
課長達が、今後の施策について議論され、
私はそれらを受けて提言書を書きました。

その中で書いたことの一つが、
会社が社員に対して福利厚生や
退職金支給の面でできることに
限度があるので、これからは
会社で働く人に対して、
自助努力を発揮し、生活設計するよう
働きかける必要があるということでした。

たまたまの役回りで、
そういうことを書いたのですが、
そんなえらそうなことを書いたからには
自分自身、実践しなければいけない、
と考えるようになりました。

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