「見えない未来をどう読むのか」というのは、
誰もが関心のあることだろうと思います。
「先を読む」ことにおいて、数々の実績を挙げ、
ご自身、「自分は少し先の見える思想家だと思っている」
とおっしゃる邱さんが、どのようにして、
未来を読んでいるのかは、私の強い関心事です。

ですから、これまで邱さん著作を読むなかで
「先を読む」奥義を開陳してくださっている文章は
よく読み、だいたい頭の中に入っています。

たまたま中国に移住した友人が、自分にマッチした
仕事を探していて、何らかの支えになればと思って
邱さんの著作のなかの文章を引用させていただきました。

ところで、いま多くの友人たちが、
その先行きを気にしているのは
中国株の今後ではないかと思います。

このところ、中国の株がさえないので、
「上がると言うから、中国株を買ったのに、
サッパリ上がらないじゃないの。中国株って
ほんとに上がるの」と思っている人が
少なくないように思うのです。

実は、私はたまたま平成8年に
中国株(B株)を買ったのですが
その後、買った株が大きく下げ、
10分の1くらいにまでにしぼんでしまい、
「中国は前途洋々とか言われているけど
本当に中国株の将来は上がるのだろうか」
と将来を疑問視したことがあります。

それが、平成13年に入って、
B株が面白いように値を上げたので、
いずれ中国株は反転すると楽観視しています。

しかも、中国の最近の経済発展は
すっかり斜陽化していた日本の会社が
息を吹き返すほどのものですから
こうした経済の動きが株の動きに
反映されないわけはないと思うのです。

このところ邱さんが未来を読む方法を
紹介していますが、雑誌『ドリブ』に2年間、
連載されたのち、平成元年1月に発刊された
『株は魔術師』の第二章、
「不況下のこの空前の金融相場は新現象」
にも、先読みの方法が書かれています。

「私たちは未来に向かって胸を張ってまっすぐ
歩いているわけではない。
過去のほうを向いて、後ずさりするような形で
未来に向かっている。(略)
過去の資料は何でも揃っている。(略)
ところが残念ながら私たの頭のうしろには
目がついていない。(略)

したがって先がどうなるか完璧に予想することは
できないけれども、未来のことを知りたければ、
全く方法がないというわけではない。

私たちは未来を過去を見るように
正確に見る目を持っていないけれども、
現在と将来の継ぎ目のようなところを
見るくらいのことはできる。

経済には真空状態というものはない。
昨日の続きは明日である。その続き方は
風景の展開の仕方とよく似ている。

平地が続いていたら、突然、断崖絶壁にはならない。
田園風景が続いておれば、突然、サハラ砂漠に
なっていくことはまず考えられない。

それと同じように、経済社会とか株式市場の
今日と明日の継ぎ目を仔細に観察すれば、
その次に起こりそうなことをある程度
類推することは可能である。」(『株は魔術師』)

これで、邱さんが見えない未来のことを
予測する方法の一端がだいたいわかりました。
せっかくですから、私たちも、この知恵を借用し、
先読みにチャレンジしてみようではありませんか。

中国に移住した青年が、
「自分なりに街中を観察していますが、
(これからら自分でやれそうな仕事が)
なんだか思いつきません」
とおっしゃり、参考にならないかと思って
邱さんが昭和47年に台湾で事業を展開しようと
考えた時、10年先に伸びそうな仕事を判断する際
参考にしたと言われる三つの物差しを紹介しました。

このうち、三つ目の物差しとして紹介した考えは
邱さんのほかの著書でも見受けられます。
たとえば、昭和57年に発刊された
『食べて儲けて考えて』という本に
「変化の継ぎ目に気をつけよう」という文章が
収録されていますが、この文章のなかで、
邱さんは「先見性」ということに関して、
「感度」という言葉を好んで使っていると言い、
「感度のよしあしは先天性とか頭脳のよしあしと
無関係ではないが、感度をよくしようと意識的に
努力することでかなり違ってくる」と述べています。

そして「感度」を養成する第一の方法が
「できるだけ情報を多く得ること」で
第二の方法は「変化に目をつけること」だと延べ
次のように書いています。
「第二に変化によく気をつけることである。
私たちの生活は、昨日が今日につながり、
今日が明日につながっているので、変化という
突然におこった事件のようなものを連想しがちだが、
変化とは生活環境に起こっているものを指す。

たとえば、トイレット・ペーパーが新聞から
藁(わら)紙へ、藁紙から桜紙へ、
桜紙からいつの間にか巻紙に変わって行くことを云う。
こういう変化の継ぎ目のようなところに
気をつけ手、次はどういう変化が起こることが予見できたら
それは先見性といってよいと思う」
(「変化の継ぎ目に気をつけよう」、
『食べて儲けて考えて』所収)

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