前々回自分が小さかったころの食生活を思い、
自分が育ったときの環境を思い出しました。

私は昭和18年に淡路島の北端の町で生まれました。
物心ついた頃に家は石油を扱う卸業をしていました。
その後、両親が奔走してある大手の石油会社の
特約店の権利を得て、田舎ではありましたが、
わりに羽振りのいい生活をしていたように思います。

私自身が少し長じたときのことですが
両親がどうやって石油卸の
会社をつくったのかに興味を持ち、
資料をとりよせ、その履歴を調べたら
会社の設立は昭和27年でした。

聞くところによると、私の母親が
「これからの時代の燃料は石炭でなく、
石油の時代のように思う。
だから石油の商売がいい」
と言い出したことが石油卸の商売を
起こした発端だと聞いています。

両親がこうした商売を起こしてくれたお陰で
私などは、12歳の時から対岸の西宮市にある
中学、高校に通うことができ、また東京の
大学にも通わせてもらいました。

私は早々に家を出、両親の起こした会社は
私の兄が継ぎました。そしていま
兄からその長男がその商売を継いています。

私の両親が先を的確に読んだので、
兄もその長男も、守成の道一本で
生き続けることができています。

石油卸の商売は10軒のうち、
8軒は赤字ですよ、石油元売の会社の人から
聞いていて、決して楽な商売とは思っていませんが、
先頭に立つ人の見通しがよければ
三代にわたって人が生き続けられるのです。

人間が生きていく上で必要なことの1つは
先を読むことです。

これから外出しようとする場合、
天気を予測します。
雨が降りそうであれば傘を持参しますし、
雪が降りそうであれば、コートを着て出ます。

日常の生活の中でしょっちゅう体験している
「先読み」の例ですが、人生の重要時点においては
さらにレベルの高い先読みが求められます。

これから就職をしようとしたり、
あるいは転職しようとしたりする人は、
自分が就職したり、転職したりする先が
これから隆々発展していくものであるかどうかが
たいそう気になります。

人間、生きていくうえでお金が大切ですから、
手に入れたお金をどんどんふやしたいと考えます。
そこで株を買おうかとか、
不動産を買おうかと思ったりしますが
株を買おうかという気になって、
株の銘柄を考える場合すぐに思うのは、
買った後に、値のあがる株であるかどうか
と考いうことです。

また不動産を買うときでも、
この不動産はこの先、値の上がるものかどうか、
あるいは人に貸して高い賃料がとれるものかどうか
いったことを考えます。

さらに事業を起こそうかと考えた場合は、
人生そのものをかけることになりますから、
考えている事業が、果たして世の中に
フィットするものであるかどうか真剣に考えます。

こうした例からもわかるように、
生きていく上に先を読むことが
つねに求められます。

うまく先が読めるようになりたいものです。

昭和18年生まれの私などが
物心がついた自分といえば
敗戦から間もないころでしたから
食生活は質素でした。

子供のときの楽しみといえば
遠足ですが、その楽しみの一つは
ゆで卵にありつけることでした。
目的地に着き、前の日に母が
ゆでてくれた卵の皮をむいて
食べることが、贅沢なことを
していると感じたものです。。

またすき焼きなどというものも
一年に何度かしかありつけない
たいへんなご馳走でした。
とくに卵をとかして、煮た肉と
一緒に食べたときのことは
今でもよく覚えています。

それがいつごろであったか、
お昼の時間に、食パンが出てきて、
トーストというもので焼き、バターをつけて食べ、
コーヒーとかココアを飲んで味覚を味わう
ようになり、食卓が一挙に豪華になりました。
今から思えば食べ物が西洋化してきました。

自分の体験したことしかわかりませんが
日本では昭和30年代前後に多くの家庭で
このような変化があったのではないでしょうか。

日本の各家庭で起こった変化が
昭和47年以降の台湾でも起こったと
邱永漢さんはお書きになっています。

そうした過去の体験から容易に類推されることは
いま経済が発展し所得がどんどん高くなっている
中国でもやがてコーヒーなどを飲むようになる
のではないかちうことです。

邱さんはこうした流れを視野にいれて、
今回のコーヒー事業に着手されたのだと思います。
そういう意味で私は、邱さんのコーヒー事業は
“先読みの所産”だと思っています。

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