聖路加国際病院の名誉院長として
活躍された日野原先生が105歳でなく亡くなられました。

 先生は高齢化が進むなか、
「年はとっても元気で働く」ことを実践された
日本国民の憧れの的であったと思います。

日経新聞は報道を通し、先生の生きてこられた道を
学ばせていただきます。
 
京都帝国大医学部卒。1941年、
内科医として同病院に勤務。
51年から1年間留学した米国で
病巣だけではなく患者の心身全体を考える
「全人医療」を実体験し、
帰国後に様々な改革を提案、実行した。

 54年に民間病院としては初めて人間ドックを開設。
定期健康診断による早期発見、早期予防の医療を定着させた。

また、成人病を生活習慣病と言い換えるよう提案した。
患者との対話を重視し、患者参加型の医療を推進した。

 94年には国内初の独立型ホスピスを設立。
小中学生に命の授業を行うなど、
命の大切さや平和の尊さを伝える活動に積極的に取り組んだ。

 2000年に75歳以上の元気で自立した高齢者でつくる「新老人の会」を発足。
100歳を超えても現役を通す姿は高齢化社会を生きるモデル像ともなった。

 多数の著書があり、01年出版の「生きかた上手」は
100万部を超えるベストセラーに。
ベストセラーの絵本「葉っぱのフレディ」のミュージカルの脚本も執筆した。

 70年に起きた「よど号ハイジャック事件」に乗客として遭遇。
95年3月の地下鉄サリン事件では同病院に多数の患者を収容し、
院長として陣頭指揮した。05年文化勲章。

 90年9月、日本経済新聞に「私の履歴書」を執筆した。

名古屋(7月29日)、大阪(7月30日)、
東京(8月5日)でのアジア株セミナーの
資料が出来上がりました。

資料を作る中で、
私が意識したことは、
いまアジアのなかで、
もっともいきよいよく陽が指している
方向を指すことです。

伝える主力は文字、活字でと
私の口ですが、それだけでは不十分と考え
セミナーの後、映像を通し、自分の目でも
確かめられるよう工夫を施しました。

私がいつも恐れていることは
固定観念にとらわれ、時代遅れの人間になってしまうことです。
時代遅れになると、寂しい人生を送ることになると
感じています。

そうならないよう、できるだけ、
多くの場所を歩くよう、努めていますが
そうした活動のなか、自分が
ここがいま陽の指すところだと見つけ、
そこに、自分の時間もお金も
動かしていこうと考えています。

同好の皆さんのご参加をお待ちしています。







 

ハノイに拠点を置くジャパン証券の
春山社長ほか皆様のご支援をいただき、
私と友人たちは大きく変化するホーチミンの
あちこちを動き回ることができました。

そして建築工事のラッシュでに賑やかになった
サイゴン川の二区から一区に動く道中で
ルネッサンス・リバーサイドホテル・サイゴンの
そばを走り、2007年の11月ごろでしたが、
私はこのホテルのなかで、邱先生にお会いし、
お話させていただいたことを思い出しました。

私は10人強の友人たちと2回目のホーチミン視察していました。
ちょうどその時、邱先生率いるベトナム考察団も
ホーチミンに入っておられました。

バス二台の大旅行で、私の親しい友人たちも
参加していました。私は自分のセミナーに参加している友人たちを
紹介する良い機会と考え、先生ご一行が泊まられている
ホテルに親しい友人を訪ねたのです。

そしてこのホテルで楽しい懇談の時間を持てたのですが、
その時、わざわざ、先生が直に部屋を出て、
私たちと懇談くださったのです。

皆あっと驚きましたが、せっかくに機会なので、
友人一人一人が先生に質問を投げかけるようにしました、

当時、先生は「サクラ証券」の設立に向けて
ご努力されているところでした。
ですので、私は先生に対して、質問しました。

「構想中の証券会社が実現できそうか」との問いに対し
先生は「わからない」と言われただけでした。

その2年後に「サクラ証券」が誕生し、一年後に
「ジャパン証券」というなめになりました。
おかげで、私たちは日本語で、ベトナム株の売買が
できるようになったのですが、ベトナムのホテルで
先生にお会いしてからちょうど10年。
いま、ベトナムの経済発展に向けての動きが
誰の目にも明らかになってきたと感じたことでした。

「経済発展には時間がかかかる」。
ベトナムとつきあってきた私の実感です。 

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